市野ルート (三方原追分一安間)/姫街道の歴史:1998年の姫街道ガイドブック
追分・一里塚
江戸より66里目、安間より2里目。 現在は南側の塚のみ。
古墳 (三方原学園内)
千塚古墳 (円墳) とひょうたん塚古墳 (前方後円墳) がある。
道標 (浜松市有玉西町)
三方原台地の東端の宇藤坂の上に建てられている。「右きが かなさし 左 庄内道」裏に「天保三年建立」とある。ここは庄内道との分岐点であった。
道標 (浜松市有玉南町)
半僧坊の里程石。「半僧坊四里廿四町 長上郡有玉村 明治十九年」とある。もう一つは秋葉街道との交差点浜松側にあり、「右半僧坊 左浜松道] とある。
小池・一里塚
現存せず。「小池一里山」の標識が建てられている。
長福寺
三河の碧海郡出身でこの地に木綿の栽培を普及させた北堂和尚の墓がある。

八丁とうも (八丁なわて)
田んぼの中の 1 本道をなわてと言う。現在は都市化が進んでいる。
正福寺跡・熊野神社
道路拡幅により、市野の街道沿いにあった馬頭観音・子安地蔵は正福寺跡に、常夜灯・経塚は熊野神社に移された。
市野宿
気賀、三ケ日と共に本坂通の宿場の一つ。江戸中期以後浜松宿へ通行が移り、次第に衰退した。昔は「市」が開かれていたが、後に笠井村に「市」が移った。本陣の東80メートルにある笠井道との交差点笠井側には道標が建っている。

池田道
下石田から天竜川の池田橋へ通じていた道。明治以前にも古い道があったが、これが姫街道(本抜通)の古道といわれる。
道標 (下石田・八幡宮)
元は池田道の分岐点にあった。「右奥山半僧坊 気賀 金指道」「左池田橋新道 見附 中泉近道」とある。
馬頭観音(下石田町)
街道沿いにあった観音堂は老朽化して取り壊され、今は長泉庵本堂に安置されている。
半僧坊道標(下石田町)
「五里廿五丁」のものと「五里廿六丁」のものが続いて建っている。
道標(安新町)
「右笠井 秋葉山 左市野 気賀 金指] 、左側面に「嘉永元申年三月」、左側面に建立者9人の名が彫ってある。
石仏 (安新町)
元は道沿いにあったが道路改修の際、普伝院北側に移された。
鳳来寺・道標 (薬新町)
上部が欠けている。元は姫街道の起点にあったが、現在は天竜公民館に移されている。
安間・一里塚 (薬新町)
東海道の一里塚であり、姫街道の起点でもある。今は跡形も無い。
金原明善生家 (安間町)
天竜川の治水と治山につくした明善の屋敷と建物が残されている。
東海道をはさんだ道の向かい側に記念館がある。
高札場 (中野町)
史跡標柱があるのみ。
松林寺
薬師堂は江戸初期、家光が浜松城主に建立させたものである。
