豊川のボランティアガイドで活用できる国分尼寺の簡単ガイド:英訳を含む観光情報記事
024.4.21 ボランティアガイド 三浦 茂
3月に三河国分尼寺で障碍者に対する合理的配慮(ひどい日本語です。)の実験がありました。耳の不自由な参加者がガイドの説明を音声を文字化するアプリの入ったタブレットの画面で見て見学するという試みです。ガイドは通常の説明通りに話すという条件でした。一部の歴史用語は会話レベルのアプリでは手間取っているように見えました。AIは賢いからちょっと用語を教えてやれば問題はすぐに解決するでしょう。見学しながら私は、日本歴史の知識をあまり持たない子供や外人に話す時には、初めから専門用語を使わずに易しい言葉でガイドする方法はないかと考えました。豊川市では小学校の6年生が社会見学で国分寺などの見学をしますが、残念なことに学校で歴史の勉強は2学期からなので多くの子は古代史の知識がありません。一応すべての学校で見学地のビデオを見て事前学習をしているのですが、見る学習は一過性のものなので子供たちの頭の中のにはあまり定着していない、と考えてガイドした方がいいかもしれません。日本人に日本語で話せば大体はわかるだろう、と思いがちですが、子供たちには日本史を知らない外国人に話すように説明したらいいのではないかと考えました。私のできるつたない英語レベルの日本語で話すのがいいだろう、と思って英語と並べて台本を試作しました。
A1 小学校低学年 大昔、ここがこの地方の中心でした。
B1 小学6年生 今から1300年程前、この地区は古代の三河の国の中心でした。
C1 易しい単語の英語 1300years ago, here was a center of Mikawa county .
A2 この近くに三河地方の県庁が作られました。
B2 天皇から派遣された地方長官(国司)がここに県庁(国府)を置き支配しました。
C2 A governor was sent by Emperor to rule this district. He made a county office here .
A3 大きなお寺も2つ作られました。
B3 天皇の命令で国分寺と国分尼寺の2つの寺も作られました。
C3 Also two big national temples (one monastery,one convent) were built .
(one for men,one for women)
A4 むかしの建物は残っていませんが研究されてその様子が分かって来ました。
B4 建物は残っていませんが、地下の遺跡の発掘が進んでその様子がわかってきました。
現在歴史公園化が行われ、建物の一部が復元されました
C4 All buildings were lost . But recently we excavated ancient remains and made a historical park .
A part of old temple (center gate ) is rebuilt as an old form .
「では、公園を見に行きましょう。」ということで
This is the site of south gate (Here is the south gate). Little-bamboo line substitute for old earth-wall around the temple . It’s about 150meters long each side.
This is a rebuilt inner gate. The poles stand on the base stone, the paint colors are same as the old.
There are 16,000 roof-tiles on this roof. 以下略
* 私の英語力では間違いがあると思うので正誤チェックをしてください。
国分尼寺簡単ガイド2
私のガイド日記
見学者が大人の時、遺跡の発見から発掘、整備の歴史についてもお話しします。自分の個人的な関心ごとでもありますが、国分尼寺への興味だけでなく文化財の保護保存にも関心を持ってもらえたらいいな、という気持ちです。発掘前には礎石がどんなふうな状態で残っていたかという質問もありました。尼寺の寺地の前方部分が畑や田んぼだったこと、金堂から後ろの部分が雑木林や竹藪だった話も興味をもってくれました。私も、住宅地に挟まれた遺跡と違って後方の山や周辺の農地が残っているこの場所は古代の地形を想像しやすい良い遺跡だと感じました。遺跡本体だけでなく周囲の環境保全も大切ですね。
簡単英語によるガイド台本作り
私が英語の作文で悩んだのは「三河の国」の「国」の表現です。日本と外国では行政組織が違うし、アメリカとイギリスでは同じ言葉でも使い方が違います。例えば
アメリカの地方行政単位は 州、郡、市の state, county, city
イギリスの・・・ county(shire), district, city です。
(* countyカウンティーは countryカントリーではありません。念のため)
日本古代の国、郡、里をどう訳すかです。
イギリスは日本と似たような面積で地方区分の名称も歴史的なものなのでcountyではどうかと考えなした。アメリカの制度は近代のもので、例えばカリフォルニア州は1州で広さが日本の国くらいの大きさなので、三河の国を state と言うと巨大すぎてサイズ的にはcountyが近いと思いました。アメリカのcountyは訳すと「郡」です。「郡」と日本語で聞くと違和感があり、それなら英国式のcountyの古い名称のshire(シャー)の方が米英の使い方の差異もなく、アメリカ人でもわかる歴史用語でもあり、ふさわしいと感じました。ヨークシャー、とかランカシャーという地方名が産業革命の授業で出てきましたよね。しかしMikawa-shire は前例が無く奇抜ですぐには認められないでしょう。
私が英語で苦労していると資料館のHさんが、案内パンフレットを英語訳した文書がある、と教えてくれました。なるほど、これがあれば一般外国人の見学者には十分です。しかし読んでみてガイドが実際話すには少し手直しが必要だと感じました。
それは元の日本語が解説文なので一つの文章が長く、表現が固い点。口語では関係代名詞が入ったような話し方はしません。また、歴史が違うために日本語を単純に英語に変換できないので翻訳に少々違和感を感じるところもありました。また使われる用語が初心者にむつかしい(日本語段階でも)専門用語でした。感想を言うと、私なら build, buildingや age と書くところを structure, constructionとか eraと書いてあります。中学生でもわかる簡単な単語で言えばいいと思います。たとえば「経蔵」を文字通りsutra repository(お経の倉庫)としてあるのも library(図書館)か temple libraryでもいいのではないかと思います。逆に参考になったのは、法華経の英語訳を Lotus Sutra (ハスの花のお経)としてある所でした。素敵な翻訳です。ただし金光明最勝王経は Konkomyosaisho’okyo のママで残念でした。
手元のアンカー英和辞典には日本の古代の国はprovinceとする、とありました。「武蔵国府跡」のパンフレットには Musashi Provincial Governor’s Office(s) とあり、 国司は provincial governor と書けばいいようです。
国分尼寺簡単ガイド 3
Provinceについて
province(プロビンス)はローマ時代起源の行政区画なのでイタリアやフランスでも使われました。南フランスのプロヴァンス地方の呼び名はそこから来ています。現在もカナダでは使われていますが、カナダは最初はフランス植民地だったのでイギリスが併合した後も呼び名が残ったのかもしれません。今でも公用語は英語とフランス語の2つです。
また古代の国の英語訳を今の県に当たるprefectureではどうかと言う案もありますが、フランスの県は革命後にできた制度で、フランス語由来のため、これもしっくりきません。provinceは歴史のある用語なので英語圏でも理解されますが、一方、県のprefectureの方は英米人でも知らない人が多いそうです。prefecture を英語と思っている人もいるかもしれませんが、イギリスを初めアメリカ、カナダ、オーストラリアでも使っていない用語なのでほとんどの人は知らないのです。英米人に通じない言葉を英語のパンフレットで使うのは変です。(間違っています。)
学習研究社のThe Anchor 英和辞典によると「county」について「(英)州、日本の県に相当する行政上の区画。the county of York.=Yorkshire. (米)郡。州(state)の行政上の最大区画。」とあります。古代の国は province とし、現代の「県」を訳す時はken ( county )を使ったらいいのではないか思います。
最後に、最近読んだ本の一部を紹介します。
「藤原宮と京 展示案内」(これもガイドブックです。)
奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部編集・発行 1991年 P.49
Structure of the Local Administration 地方行政のしくみ
With the promulgation of the Taiho Code, the local administration was also reorganized.
大宝令の発布によって地方行政の仕組みが整備(再編)された。
The administrative hierarchy was reorganized to consist of Kuni (province) at the top ,
Gun (county) ,and Li (village). 行政階級は 国ー郡ー里制に再編された。
While the authority of a Kokushi (provincial governor) sent by the central government was made stronger, 一方で、中央政府から派遣される国司の権限が強められ、
The control of a Gunji (county magistrate), who was a local influential chief, was made weak.
他方では、地方有力者(豪族)である郡司の支配権が弱められた。
* ここでは「郡」をアメリカ式にcountyとしています。イギリス式なら州や県にあたるのでやはり厄介です。province があるので判断しろ、ということですかね。居直って言えば、郡司が支配権していた地域を政府が奪って支配したので実質的には古い郡も律令の国も大きな違いが無いとも言えます。律令制度では郡は国の下部組織に変更されました。
古代日本の地方組織は英米ごちゃまぜの provinceーcounty ーvillage)で妥協ですかね。 * この本も県についてはやはり(Aichi)prefecture と書いていました。
国分尼寺簡単ガイド 4
付 録
Prefecture について
全く別件ですが、そもそも私は日本で「県」をprefecture(英語ではプリーフェクチャー・フランス語からの外来英語)と訳していることに反対なのです。廃藩置県の行われた明治初期に日本政府はフランス帝国をモデルに行政、軍事、警察、学校制度などを進めていたので県をフランス語から prefectureと訳したのでしょう。ところがフランス皇帝ナポレオン三世がドイツのビスマルクに負けてフランスは共和政に変わり、日本は国家目標を新興のドイツ帝国に切り替えました。憲法や軍隊が保守的なドイツ式なのはこのためです。
フランスでは地方行政単位の州、県、市町村は region department communeです。「フランスには18の州(レジオン)、90の県(department デパルトマン)、3600の自治体(コンミューン)がある。」と使います。厳密に言うとフランスのprefecture(仏語・プレフェクチュール)は行政区画名ではなく ①県庁所在「例・名古屋は愛知県(Aichi department) のprefecture である。」②県庁の建物 ③県の役所。の意味です。その長官(知事)は大統領が任命する内務省の高級官僚です。内務省は警察業務を管轄する点でも戦前の日本の組織とそっくりです。大久保利通はパリ警察をモデルに警視庁を創設しました。prefectureという言葉の採用は、県を単に藩に代わる地方行政単位(state や county)ではなく、強力な中央集権国家の組織の一部とする。という大久保の意思を表しているようにもみえます。
文部省や行政機関は明治以来の慣行に従ってそのまま英語と勘違いしてprefectureを使っているのでしょうが、前に書いたように国内の地方行政単位として存在しない「prefecture」という言葉はは英米人にはほとんど通じません。英米人に通じる英語を使うようにして欲しいと思います。
私は今でも学生時代に習ったドイツ語由来のPHペーハー、とかmbミリバールといった理科用語のクセが抜けません。ピーエッチ、ヘクトパスカルも言えますが洪積世、沖積世になると切り替えができず、古い呼び名しか出てきません。役所と老人は頭が固い。