日本の切り絵・切り紙の歴史

はじめに

日本で切り絵が注目されたのはこの半世紀ほどのことですが、まだ芸術のジャンルとしては十分確立されていません。昨年私がT市の市民芸術展に切り絵の作品の出展を申し込んだところ、絵画の部門には洋画、日本画、デザインの3部門しかなく、工芸部門にも当てはまらないので受付の人が困っていました。

 1949年に誕生した新中国(社会主義)政府は「剪紙(センシ)」を農民芸術として宣伝紹介し、その斬新なデザインの影響を受けて日本でも1960年代に「切り紙」の制作が盛んになった。1969年には朝日新聞の日曜版に滝平二郎氏のカラフルな作品が毎週連載され、切り絵の魅力が世間に注目された。滝平二郎氏の作品はそれまでの工芸的な切り絵とは一線を画すものだったため、この時初めて「切り絵」という名称が使われ、この名称が普及した。

 もちろん戦前に詩人高村高太郎夫人の智恵子氏は千数百点の優れた「紙絵」を作っていますし、江戸時代後期には寄席で客からの「お題」の絵柄を即興で切り抜く演芸がありました。またアジアやヨーロッパでも古くから各地で民族色豊かな切り絵が作られていますが、ここでは日本で作られた古代から近代までの歴史的作品について扱います。

最古の切り絵「人勝残欠」

 現存する世界最古の切り絵は正倉院にある「人勝残闕(欠)」という賀紙である。聖武天皇の死後、757年に東大寺に献納されたもの。「人勝」とは人日の日(旧歴の一月七日)に作る人形(ひとがた)などの切り絵、「残欠」とはその切り絵が劣化して残った切れ端(残片)という意味。「人勝残欠」は2枚あった切り絵の残った切れ端の図柄と文字を1枚に集めて貼ったものである。これは中国からの渡来品だが、中国には切り絵について古い記録はあるものの、実物は残っていない。

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図  唐草模様の透かし彫りの中に花や葉の模様。単独に子供、犬(鶏)、蘭の図がある。

文字 切り抜いた16文字を貼った漆の跡がある。文字自体は無くなっている。

   「令節佳辰  福慶惟新  変和万載  寿保千春」

   拙訳(良き年良き春 目出度さ新たなり 和むこと万年 長寿千年)

(注) 人日は五節句の一。人勝節ともいう。

    五節句: 人日、上巳、端午、七夕、重陽

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