豊川市街 /姫街道の歴史:1998年の姫街道ガイドブック

姫街道は豊川市では町の中心部を横断している主要道で、交通量が多く市街地では昔の面影があまり残っていない。国府一豊川間は名鉄豊川線が近くを走っているので便利である。

諏訪神社

かつて神祉の西隣に江戸から七十六里の「諏訪の一里塚」 があったが今は跡形もない。現在本宮山遥拝所の標柱がある。

豊川海軍工廠跡

豊川市発展の契機は昭和14年から始まった東洋一の海軍工大の建設であった。昭和20年には職員 4百、工員 1万、徴用工員 4万、動員学徒 6千人が動務した。広島に原爆が投下された翌日の 8月 7日、124機のBー29爆撃機の空襲を受け死者 3千、負傷者 1万人の犠牲者を出した。現在平和記念公園になっている。

豊川稲荷

日本三大稲荷の一つ。豊川稲荷は妙厳寺の守護仏ダキニ真天を祭ったものである。嘉吉元年(1441)創建。総門の次にある山門は今川義元が寄進したもの。

三明寺

大宝2年(702)に文武天皇の詔を受けて建立された。重要文化財の三重塔は室町末期(1531)の建造である。1層と 2層が和風、3 層が唐様の折衷様式である。 1

寿命院の榎

国道 151号線を越えて東へ少し行くと右手の真言宗寿命院の先に 1本の榎(えのき)が見える。地元では「一里塚の榎] と言われている。

当古の渡し

姫街道と豊川(とよがわ)が交差する当古は昭和 9 年に当古橋ができるまで渡船場があった。 豊川には舟運が盛んで上流の新城から吉田(豊橋)までは舟で 1日行程、逆の上りは当古で 1泊の 2日行程であり、当古村には常宿としての舟宿が並んでいた。川の増水時には姫街道の旅人が足止めされて宿場としてもにぎわった。

旧家・中山家の跡

徳川家康の船渡しを助けた功により渡船の特権を与えられたのが中山家の祖先であった。代々庄屋を勤めた旧家である。

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