引佐峠/姫街道の歴史:1998年の姫街道ガイドブック
黒坂の森
「六部の森] ともいわれる。明和4 年この辺りで行き側れことなって死んだ円心という巡礼の墓がある。道沿いに水準点がある。
大谷・一里塚
引佐峠の西麓にある。江戸より70里目。現在は塚はなく、記念碑が建てられている。
石投げ岩
旅人が峠を上り降りする際、石を投げ岩に乗ると無事峠えができるといわれた。
象鳴き峠
享保14年清国の商人が献上した象が江戸へ向かう途中姫街道を通った。吉田、気賀に泊まり浜松に向かった。気賀村の庄屋が引佐峠まで迎えに出た。峠道は細く急で、象が悲鳴をあげたという。
引佐峠
三ケ日と気賀の境で、海抜 220m。本坂峠に次ぐ難所である。景勝の地として知られていたが、現在は木が茂って見晴らしは良くない。すぐ近くに大型農道ができている。
石畳
峠から5Omほど気賀よりに下がった所と姫岩付近に古い石畳が残っている。
姫岩 (平石休憩所)
引佐峠の東側中腹にある平な巨石。大名行列がある時は気賀の近藤家の家臣がここまで出向き、湯茶の接待をした。かまど跡は道路拡張の際取り壊されたが、現在は登山者用の休憩所が設けられている。