三ケ日町内/姫街道の歴史:1998年の姫街道ガイドブック

 本坂峠の静岡県側は山の斜面がみかん畑で埋まっている。有名な三ケ日ミカンは享保のころ山田弥太夫(三ヶ日みかんの祖)が西国巡礼の旅に出て紀州の小みかんを持ち帰ったのが始まりという。その後、天保年間に加藤権兵衛が三河国から温州みかんの苗木を求めて三ヶ日町平山に植え、現在の隆盛となった。
 町内には三ヶ日原人の見つかった只木遺跡があり、大きな銅鐸も発見されている。名庭園で知られる大福寺、摩か耶寺、800年の昔から伊勢神宮に布を献上してきた初生衣神社などがある。

三ケ日・本陣

建物は残っていない。全国を測量して歩いた伊能悪敬は文化2年この本陣に泊まり「小家なれ共家作りよし。酒造をなす。」と「浜名湖測量日誌」に書いている。

三ケ日・一里塚

江戸より71里目。現在は塚は無く記念碑のみ。

竹山竹茂の碑

江戸時代後期の俳人。文化10年 (1827) に建立された六角柱の句碑。

大里峠

この付近と三ケ日インターチェンジの西側は東名高速道路により街道が切断されていて遠回りまたは近道で歩くことになる。

滋眼寺・庚申堂

寺は明治初年に全焼し、それより住職はない。庚申堂には金剛童子を安置し昔は世人の信仰を集めたが焼失後その面影を失った。

近藤陣屋と大谷代官屋敷

陣屋は三ケ日地域を支配した三千石の旗本、大谷・近藤氏の政庁である。領主近藤氏は交代寄合でほとんど江戸勤めであったので、代官を派遣して政務を執らせた。

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